上手に詰めれる上司は何が違うのか?

私は「急かされること」が嫌いですが、それに次ぐものとして「詰められること」が嫌です。しかしながら、会社ではミスをすれば詰めが入るのが定め。上司に詰められるたびに、ストレス指数が急上昇し、帰り際にジャンクフードを食べてストレスを発散するという生活を送っていました(当時は身長172cmに対して体重88kg。。。)。

時は経ち、中堅社員になったある日に気づきました。ミスをして原因を問われても、不快に感じる人とそうでない人がいるということを。両者の差は 他人に問うかvs自分に問うか。

「詰められてる」と感じるのは「なぜなぜ攻撃」を受けた時です。なぜ、気づかなかったのか。なぜ、その時だけは遅れて到着したのか。なぜ、なぜ、なぜ。。Naze。もうきかれてるだけで、クタクタです。この手の会話がキツイのは「問われる方だけが考えるからです」。問う方は常識的な正論を喋ればいいので、楽です。後、正しい方と正しくない方という区別がはっきりするので、問う側は優越感に浸る一方、問われる側は不快感しか募りません。

結局、一般論の応酬になるので、対応策は「朝礼で注意喚起」、「チェックする回数を増やす」など、時が経てば無力化必至のものしか出ない。

しかし!ここで問う側が対案を出すと話は変わります。かつての上司は私の報告が終わると「ミスが発生した時のみんなの動きを教えて」と私に指示を出しました。ごめんなさい、の一言で済ませようとし私は、内心「めんどくせ!」と思いながらチームメンバーに当時の動きを聞いて回りました。一連の報告を聞いて、上司は「この時間帯は明らかに人員的に無理が発生しているね。そういう場合は他部署に応援してもらえるか交渉してみるよ」と言ってくれました。

結果、繁忙時は他部署が助っ人に来てくれる体制が整い、以後は同じミスは起きてません。

詰める側も「自分に問い、考える」。これだけで結果は違ってくるもんですね。

 

以上、中間管理職の愚痴でした。